| 週末には、買い物によく出かけた。サヤームセンターに行ったり、makroに行ったり、centralに行ったり。大きなかごに次から次へと放り込むそのダイナミックさに、すっかり驚いてしまった。今週も買い物に行くのだろうか。今度は市場だろうか。ある日、宝石店の従業員のraneeという女性が、私に言った。「明日は、ナコンサヨクの果樹園に行くのよ。ふみも行くよね。」果樹園!!すてきなひびきだった。私は一も二もなくうなずいた。
その日の夜、リビングルームで、chotima(15歳。選択科目として日本語を学ぶ学生。彼女の家に私はホームステイしています。)は私に言った。「あした、あなたは、くだものに行きますか??」要するに果樹園に行くかどうか聞かれたようだったので、私は大きくうなずいた。chotimaは行かないのかと私が訪ねると、彼女はすぐに横に首を振った。理由を聞くと、テストが近いからという答えが帰ってきた。先生は遊びに行き、彼女は家で勉強かあ・・・いいのかなあ。と思いつつ、がんばれと背中をたたき、その日も一緒に豆乳にシリアルをたくさん入れた例のを飲んで、眠りについたのだった。
朝、目が覚めると、まず水を浴びる。タイに着いたばかりのころは、そんな習慣がなかったのだが、毎日浴びはじめると、くせになってしまったようである。髪を乾かしながら、いつのまにか誰かが部屋の中に持ってきてくれた生ジュースを飲み干す。
ひといきついていると、コンコンとノックの音がした。クン・ポーが迎えに来たのだった。下に降りると、あまり外に出かけることのない、89歳の中国人のおじいさんが、きちんとアイロンのかかった服を着て、いすに腰かけていた。そんな姿を初めて見たので、私はびっくりしてしまった。おじいさんも、農園を見に行くらしかった。よく話を聞くと、土地を持っているのは彼のようだった。おじいさんは腎臓がわるいようで、いつも、尿をとるチューブとそれをためる袋をずるずるとひきずりながら家の中を歩いていた。オーンという名前の家政婦さんがいつもついて歩いていた。初めて一緒にでかけるのである。オーンも一緒である。
バンコクからナコンサヨクの農園までは、クン・ポーが道に迷ってなんどか道を迂回した時間を含めて、約二時間かかった。農園の入り口にはいくつか家があり、中から何人か真っ黒な顔をした子どもが走り出てきた。にわとりがそこらをつつきまわっていた。私は、その広い広い果樹園を、奥へと歩き出しマッパンのオレンジ色の実がすずなりになっている様子を眺めた。クン・ポーは私のずっと後に、おじいさんの手をとりながら、高床の家に一休みに行ったようだった。
私は、目の前を走る犬の後を追いかけて、さらに奥へと進んだ。バナナの木の大きな葉をかいくぐってついたところに、高床のあずまやがあり、そこに、収穫された果物が並んでいた。あるのは、カノンと、マッパンだった。それを見ていると、遠くから、頭から鳥打ち帽のようなものをかぶり、サングラスをかけた四人組が遠くからこちらに向かって歩いているくるのが見えた。花柄の帽子をかぶった女性もいた。しかし、いずれも顔を見ることができず、誰だかわからなかった。私は少し不安になって、彼らの顔をのぞきこむようにして彼らを待った。鳥打ち帽をはずし、サングラスをとると、なんだ、運転手のブンさんじゃないか。なんだ。びっくりした。気づけば、見慣れた顔ばかりだった。ふだん、宝石を眺めながら涼しい店で接客をしている彼女たちが、こんな帽子をかぶって汗をかいている。私はそのギャップに驚いてしまった。
マッパンは、すっぱかったり、あまかったりした。とってもとってもきりがないほどのマッパンがそこらじゅうに見えた。草原の中に、オレンジ色の斑点がかぎりなく。私は、オーンと一緒に、マッパンをとりに行くことになった。それぞれ二三人に分かれて、作業に入った。私の身長で届く範囲のマッパンは、おおかたとってしまったころ、チクリという鋭い痛みを首筋に感じた。今まで経験したことのないような、痛みだった。なんだろう。またチクリ。私はたまらなくなり、叫び声をあげて、助けを求めた。すると、ブンさんが、ちょいと私の首から茶色い固まりをつまみあげて、捨てた。なんだ。モット。アリなのだ。気づけば、茶色いアリが私の体に無数にまとわりついているのだった。このアリは、たちが悪く、振り払っても簡単には体から離れない。それどころか、鋭い歯で皮膚に食いついて離れない。アリが自分のおなかに食いついている顔を見ていると、こっちの顔まで曲がってきそうだった。
相手がアリだったと気づき、私は改めてぎゃあと叫んだ。

つづく
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